2009年05月05日(火) 【思い出のパンチがいっぱい】 実家に帰るとママが清志郎さんの話を出した。 アルバム持ってる、生を見た、昔からファンだとかではなく 深く知らなくても多くの人に魅力的に映る人だったんだと思います。 愛されていたんだなぁ。 私はコアなファンではありません。が 今までに何度かパンチを受けてました。 パンチというと聴こえは悪いけど。笑 今でもその痕をちゃんと私に残してくれています。 殴ってくれてありがとう。今でもちゃんと痛いです。 先輩のバンドの帯の文章を書いていました。 CDを購入した私が見たその文章があまりにすごく印象的だった。 以下、そのままです。 「うずまきはいいバンドだぜ。 きちじょーじのマンダラあたりで あいつらのLIVEをみれば わかるよ 俺がプロデュースしたらすげえことになるだろう。しかし こんなバンドをどーやって売ったらいいのか今じゃ誰も わからないってことさ。 ぽっと出の奴らは俺の話を ハナで笑うだけということさ。 ギョーカイというのはそんなものさ。」 今まで見たCDの帯で一番忘れないものです。 東京ローカルホンク http://www.honk.jp/ 【Myspace】http://www.myspace.com/tokyolocalhonk 私の初めてのキヨシローは 91年の映画「アイ・オー」主題歌としてTVCMで流れていた頃(リリースはもーっと前) 私が13歳のころです。当時フジテレビでがんがん流れていました。 最初に聴いた時、赤ちゃんが泣いてるようななんとも個性的な声 聴いたことない、変な声だなぁと思ったのでした。でも サビの「悪い予感のかけらもないさ」という節がちゃんと聴こえて 中1の私はずーっと気になっちゃって気になっちゃって 近くの新星堂にこっそりシングルを買いに行ったのを覚えています。 歌詞を読むと、とてもセンチメンタルで ロックの不良イメージ、アッパーで激しい部分だけでなく、 日本の情緒、情感を帯びた歌詞が大好きになりました。 カッコいいところとカッコ悪いところと素直に見せてくれる 嘘つきでない感じ。 いつも家族の影響で音楽を聴いていた私が初めて自分で見つけたドキドキ感 シングルだし、二曲しか入ってない。だからもの凄く聴いた。 それからスローなバラードが好きになって今でもソウルの王道バラードが大好きです。 c/w は「空がまだ暗くなる」という「大人だろ?勇気を出せよ」という歌いだしの曲。 初めての存在感でした。 CMで「I LIKE YOU」も流れてたなぁ。「LOVE」のこってりでないところが丁度よくしっくりでした。 そのあとはタイマーズの「デイドリームビリーバー」です。 最初に姉にモンキーズを聴かされてたそのあとなんで 日本語にはびっくりした「and a」が「そんで」になってたから。笑 そんでーって歌詞、まんまじゃん!って驚いた。音もおなじで。 今でもこの曲を聴くと音楽学校仲間と行ったキャンプを思い出します。 陽が傾く帰りの高速でみんなで絶叫しながら歌ったなぁ。 ずっとこんな楽しい時間が続けばいいなぁと願ったのでした。 最後の「ずっと夢見させてくれてありがとう」くだり、切なくなるんだよなぁ。 清志郎さんの尊敬するところはカバーも素晴らしいとこ。 曲の持ってるイメージもくずさず離れすぎず(英詞のすべては私は理解できてないけど) ちゃんと分かりやすい日本語で歌ってる訳詞。単なる日本語版ではない。それはとてもすごいこと。 今や邦楽といえどもサウンドは洋楽も邦楽も、言語も入り乱れてますけど ただの西洋かぶれでなく、どうすれば日本語でロックできるか。ソウル入れられるかとか そういうことを確立してくれた功労者だと思います。 堅苦しく暑苦しくなくユーモアと愛と怒りに溢れた絶妙なバランスが私は大好きです。 それから少し遡ってRCサクセションを聴いたり。 ただのファンなんで井上陽水との共作 「帰れない二人」をカバーもさせてもらっちゃったりしました。えへ。 うーん! 名曲ばっかりだ! 夜も深まるとなんだか話が長くなります。 今日はこんくらいにしとこ。笑 02:30 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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